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楠木正成

楠木正成


「楠木正成(くすのきまさしげ)」



愛刀 “小竜景光”(こりゅうかげみつ)


家紋 “菊水紋”(きくすいもん)



楠木正成


楠木正成は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけて活躍した人物。
永仁2年(1294)、ここ千早赤阪村の水分で生まれたといわれている。
正成が生まれたころ、140年あまり続いた鎌倉幕府は衰え、
秩序が崩れていた。 そのなかで、政治を武士から天皇に戻そうという
気運が高まっていた。大きく時代が変わろうとしているときであった。
元徳3年(1331)、正成は後醍醐天皇の皇子護良親王とあわせて、
鎌倉幕府に 対抗するため下赤坂城で兵を挙げる。元弘3年(1333)には、
千早城に100日間籠城し、鎌倉勢を釘付けにした。

この間に、新田義貞(1301~38)らが鎌倉へ攻め込み、鎌倉幕府は滅亡。
このことから、後醍醐天皇は鎌倉幕府を滅亡に導いた功労者として、
正成を従五位下検非違使に任命した。
その後、建武3年(1336)、天皇を中心とした政治に疑問を持ち
反旗をひるがえした足利尊氏(1305~58)に湊川の戦いで破れ、自害。



愛刀 “小竜景光”

小竜景光は鎌倉時代の備前国(岡山県)の刀工・景光作の太刀である。
鎺元(はばきもと)に精緻な倶梨伽羅竜の彫り物があることから
この名がある。
楠木正成(楠公)の佩刀であったと伝えられていることから
「楠公景光」とも呼ばれる。



家紋 “菊水紋”

楠木正成が後醍醐天皇より下賜された菊水紋。建武の新政が成った時、
その功績として「菊紋」を下賜されたが、畏れ多いとして
半分を水に流し「菊水紋」にしたといわる。

ちなみに楠木正成の旗として
「菊水紋」に「非理法権天」と書かれたものと「蟠龍起萬天」と大書きされ、
その右側に「元弘辛未歳二月 日」、左側に「正成」の署名が入っているものが知られている。

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