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石田三成

天下分け目の関が原の合戦 「近江が生んだ知将 石田三成」

天下分け目の関が原の合戦
「近江が生んだ知将 石田三成」



愛刀 “石田切込正宗”
    (いしだきりこみまさむね)


脇差 “石田貞宗”(いしださだむね)

武具 “紅糸素掛威伊予礼二枚胴具足”
     ( くれないいとすかけおどし
         いよざねにまいどうぐそく)


    “天衝脇立乱髪形兜二枚胴具足”
     (てんつきわきだて
      らんぱつなりかぶと にまいどうぐそく)


家紋 “大一大万大吉”
     (だいいちだいまんだいきち)




石田三成


 知将「石田三成」は、豊臣政権の転覆を図る徳川家康に、敢然と立ち向かった
「忠義」の臣として、多くの人に受け入れられている。しかし、三成の評価は、
単なる「忠義」の臣でよいのか?

 三成は秀吉のもと、戦国時代後の理想国家を夢みて、太閤検地や
兵農分離などの政策を行っていた。それは、社会に浸透したさまざまな
既得権を奪うもので、まさしく戦国の構造改革であった。
三成は、この改革を断固実現した政治家としてこそ、正当に評価されるべきである。
彼は「私恩」のために家康と戦ったのではない、家康と目指す国家が違うために
立ち上がったのである。

 死後徳川幕府によって悪評を流され、極悪人にされてしまった石田三成。
しかし、彼は20万石の一家臣でありながら、250万石の巨大な大名・徳川に
戦いを挑んだ果敢な男だ。西軍から裏切り者が出たことで人望がないように
言われてきたが、全滅するまで戦った石田隊の兵たち、大谷吉継、敬意を示した
敵将など、彼らは人格者としての三成の素晴らしさを身をもって語っている。

何より、三成に人間的な魅力がなければ筆一本で東軍を上回る9万もの兵を
2ヶ月で集められるわけがない。真に国土の繁栄を願い、自身の居城は極めて質素。
敗者でなければ英雄になっていた男だった。





愛刀 “石田切込正宗”

相州鎌倉の名工・正宗といえば名刀の代名詞とつたえられているが、その偉大さは、
焼刃の「沸の美」を最高に表現し、金筋、地景など、地刃の働きを十分に生かした
ところにある。棟の物打辺と腰元また茎に深い切込痕がある。一説に太閤秀吉より
三成が拝領したとも云われているが『名物帳』には毛利若狭守が所持していたものを
宇喜多秀家が四百巻で買い、石田三成に贈ったと記されている。


脇差 “石田貞宗”

 南北朝時代に、相模国貞宗が制作した刃長三十一・二㌢の短刀。
巾の広い造り込みで反りのついた大振りな姿の寸延短刀である。
刃文は浅くのたれて互(ぐ)の目が交じる。

 関ヶ原合戦に敗れた三成が、逃走の最後まで持参していたもので、伊香郡古橋
(現木之本町古橋)の山中に潜伏していた三成が、旧友の武将、田中吉政に
捕らえられた際、形見として田中に与えたもの。重文で東京国立博物館所蔵品。



武具 “紅糸素掛威伊予礼二枚胴具足”
石田三成 甲冑 紅糸素掛威

 鉢は鉄錆地六十二間筋兜で、阿古陀形に造り、しろこは革板礼四段を紺糸で
素掛威にする。典型的な桃山時代の具足で鬼会(おにだまり)等を
金溜塗(きんためむり)にするなど、石田三成着用に相応しい高級具足である。



武具 “天衝脇立乱髪形兜二枚胴具足”
石田三成 甲冑 天衝脇立兜

 「天衝」というのは、まさに天を衝くような長い角が付いていたことから来る
言い方であり、かなり長いものだった。非常に目立つ兜であり、本来甲冑は
人を威すと言う意味合いも持っており、戦国期になると特にそれが強調される。

 変わり兜が多々見うけられた中でも稀に見るものである。

 本兜は総髪に天衝脇立と【夜叉】や【鬼】をイメージし、特に恐ろしさを強調した
兜であり、石田三成の意外な一面もが伝わってくる。


家紋 “大一大万大吉”
石田三成 家紋
 「大とは天下を意味するものなり。 天下のもと一人が万民のために 
万民が一人のために命を注げば、すべての人間の人生は吉となり、
太平の世が訪れる。故に人間が変われば世もまた変わる」

また大一大万大吉の六字紋は、一を「かつ(勝)」と読み、
万「よろず」を万年の繁栄、吉を縁起のよい文字として、
さらにこれに「大」を冠して幸運を願う紋であり、
古くは鎌倉時代の武将の石田為久(木曾義仲を射落とした
人物として知られる)が用いていた。



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