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前田利家

秀吉が最も頼りにした律義者 「槍の又左 前田利家」

秀吉が最も頼りにした律義者
 「槍の又左 前田利家」



愛刀 “大典太光世”(だいてんたみつよ)

武具 “金箔押伊予札卯花糸素懸威具足”
     (きんぱくおしいよざね
      うのはないとすがけおどしぐそく)


愛馬 “谷風”(たにかぜ)

家紋 “梅鉢紋”(うめばちもん)


前田利家

 前田慶次が、天下無双の傾奇者になったのも、少年時代、この叔父である
前田利家の見事な傾奇者ぶりが、目に焼きついていたからだと言う説もあるほど、
利家もかなりの傾奇者であったのだ。

 傾奇者にして律義者であり、実際に秀吉が最も頼りにしたのも、この『槍の又左』の
異名を持った利家である。


 14歳のときに、全国に悪名を轟かせていた、『尾張のうつけもの』、織田信秀の四男、
信長の側小姓として仕える。
 だが、実際は、髪の毛を縄で縛り、派手な衣服を着込み、瓜を街中でかぶりつきながら歩き、
ひょうたんを腰にいくつもぶら下げて歩いていた信長と一緒になって、金色の衣服に
デカイ槍を持ち歩く、信長と一緒に派手に暴れまくっていた豪快な青春時代を過ごしている。

 当時としては大柄の180センチもある大男。

 喧嘩も滅法強く、そのデカイ槍を豪快に振り回す暴れん坊であり、信長の配下と言うよりは、
不良仲間と言う感じであったらしい。

 容姿については、男性の平均身長が157cm程度の時代に6尺(約182cm)を誇る
類稀なる恵まれた体格の持ち主で(遺された利家の着物から推定6尺とされている)、
前の項で記されたように顔も端整であった事から非常に見栄えのいい武将であったと
言われている。

利家は三間半柄(約6m30cm)の長く派手な造りの槍を持ち歩き、初陣以降、
緒戦で槍先による功を挙げた武辺者であったた。






愛刀 “大典太光世”

 光世は平安後期の永保(1081~)頃の刀工と伝えられるが、有銘の太刀(たち)は
この大典太のみである。室町時代以来の名物で、「鬼丸国綱」と同じく、
足利将軍家秘蔵の名刀。筑後国の光世作。身幅の広い、重厚な太刀。

豊臣秀吉、前田利家に渡った後、前田家の伝家の宝刀となった。



武具 “金箔押伊予札卯花糸素懸威具足”

前田利家 甲冑

本金箔・光り輝く黄金の甲冑  
 末森城入城の伝のある全身を金で固め卯の花糸(白系の糸)
で威す、利家の人柄の匂う甲冑と言える。




愛馬 “谷風”

甥の慶次に騙され水風呂に入浴させられたときに奪われた、といわれている名馬。
別名 松風。



家紋 “梅鉢紋”

今は花といえば桜を思い浮かべる人が多いかもしれないが、古代の日本人に
 とって花といえば「梅」だった時期がある。
 古代日本人に愛された梅だが、最も梅を愛した日本人として有名なのが
 「菅原道真」公である。

  彼は藤原氏の陰謀によって晩年を太宰府で過ごさなければならなかった不遇の
 人で、そのことで多くの人の同情を集め、その後の天災を道真公のたたりと恐
 れ、天満宮に神として祭ったという逸話がある。

 学問の神としても有名な道真公を祭る「天満宮」の神紋はもちろん、「梅鉢紋」。

 一方の菅原道真公の子孫を称する前田家も使用している梅鉢紋は、花びらを丸
 にデフォルメしており、そうすると丸が5つになり、星紋と区別がつかなくな
 り、中央に鉢と呼ばれる太鼓の鉢のようなものを描いたと言われている。

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