戦国武将の愛刀・家紋 > 伊達政宗

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伊達政宗

遅れてきた戦国武将「独眼竜 伊達政宗」

遅れてきた戦国武将
 「独眼竜 伊達政宗」
 



愛刀 ”山城大掾藤原国包”
       (やましろだいじょうふじわらのくにかね)

武具 ”黒漆五枚胴具足”
      (くろうるしごまいどうぐそく)

愛馬 ”五島”(ごとう)

家紋 ”竹に雀”




伊達政宗

 幼少時に患った疱瘡(天然痘)により右目を失明し、また、
 戦国屈指の教養人として、豪華絢爛を好むことで知られていた。
 俗に伊達兜と言われる三日月の前立てを装着した兜と
 眼帯をした隻眼の姿が有名。
 




愛刀 “山城大掾藤原国包”

 国包らしく柾目鍛えに広めの直刃が浅くのたれた新刀大業物。
 山城大掾藤原国包は保昌貞末の末流と云われ、伊達政宗の命により
 上京し越中守正俊の門人となる。寛永四年に山城大掾を受領。
 山城大掾藤原国包、奥州仙台住山城大掾藤原国包、
 用恵国包(寛永十五年入道後)などと銘を切る。


武具 “黒漆五枚胴具足”


 金色の細い月形の前立が印象的な伊達政宗の具足。
 胴は黒漆塗の五枚の鉄板から成り、草摺(くさずり)は九間六段下がり。
 兜は六十二間の筋兜で兜銘は「宗久」。政宗以後、歴代藩主や家臣たちも
 この具足形式を踏襲したので、五枚胴は仙台胴とも呼ばれた。


愛馬 “五島”

 重臣後藤信康から献上された政宗の愛馬。慶長19年(1614年)、
 大坂出陣の際、すでに老齢であった五島は、政宗公から留守を仰せつかった。
 政宗にしてみれば愛馬を気遣ったつもりであったが、五島にしてみれば
 長年共に戦場を駆けてきた主人に留守を命じられたことは甚だ悲しいことであった。
 もはや役に立たぬ身なればと、五島はその夜のうちに仙台城の崖から飛び降りて
 自殺してしまった。政宗はその話を聞くとひどく心を痛め、五島の死んだ地に
 墓と神社を建立し、手厚く葬ったという。


家紋 “竹に雀”

 政宗の祖父、稙宗が上杉家から嫁をもらい、その際に譲り受けた家紋。
 元々、竪三つ引き両紋が家紋である伊達家だが藤原氏一門で、関東管領
 でもある上杉家の紋を使えることは伊達家にとっても家名が上がる効果が
 あったのであろう、以後この竹に雀の紋を多用するようになり、政宗に
 関しては本来の家紋よりもこちらの紋を積極的に使用したようだ。
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