戦国武将の愛刀・家紋 > 島津義弘

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島津義弘

悪人こそ我が師なり 「島津最強部隊の将 島津義弘」

悪人こそ我が師なり 
「島津最強部隊の将 島津義弘」



愛刀 “西蓮”

愛馬 “膝付栗毛”(ひざつきくりげ)

家紋 “丸に十字”(まるにじゅうじ)



島津義弘

 九州の戦国大名島津家の第十七代当主。
「武略の義弘」と呼ばれ、兄義久の九州統一を助けるが、秀吉に降伏。
その後は豊臣政権の一員として、齢五十を越えての朝鮮の役では、
敵に鬼石曼子と恐れられ、劣勢日本軍の殿として見事全軍撤退を
成功させた猛将である。敗軍に与した関ヶ原合戦でさえも、
退き口の勇猛さを以って、敵将・家康に本領を安堵させた知勇と、
如何なる状況下においても戦い抜く勇武を兼ね備えたこの薩摩隼人の、
戦神と家臣に愛され続けた波乱の生涯。


愛刀 “西蓮”

記録によると朝鮮の役の際に持参したものと伝えられている。
元来の刃の長さは、90cmを超える長い刀であったとつたえられる。
また、刀身の幅が広く、先へ向かっても幅がさほど細くならず、
厚みもあるため大変重く、「豪壮」な刀。また、常に激戦の先頭に立って戦ったと
伝えられている義弘公の愛刀らしく、手元に刀剣で切り込まれた傷がある。



愛刀 “朝鮮兼光”

島津義弘が朝鮮出兵で使用した刀。




愛馬 “膝付栗毛”

木崎原の戦いの時、義弘が槍を振るいやすいように自分から前足のひざ
(正確には膝ではありませんが)を折り曲げて前屈みになった事から。
元は名前は長寿院栗毛(ちょうじゅいんくりげ)


家紋 “丸に十字”


十字と聞くと、キリスト教を連想しますが、島津家の家紋はキリスト教とは無関係。
十は十全の威力を示す護符マークであり、災厄を打ち払うということで家紋に選ばれた。
元々、丸はなく、筆で書いたような字体の十だけでしたが、すわりが悪いために
丸が加えられた。


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