戦国武将の愛刀・家紋 > 雑賀孫一

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雑賀孫一

戦国最強の鉄砲傭兵集団[雑賀衆]頭領「本願寺左右の将 雑賀孫一」

戦国最強の鉄砲傭兵集団
  [雑賀衆]頭領
「本願寺左右の将 雑賀孫一」


愛刀 “八丁念仏団子刺し”
    (ハッチョウネンブツダンゴザシ)


家紋 “ヤタガラス(三つ足鳥)”



雑賀孫一

「雑賀衆を味方にすれば必ず勝ち、敵にすれば必ず負ける」
大名家 とも 寺社勢力 とも異なる特殊な集団、戦国最強の鉄砲傭兵集団 [雑賀衆]、
その頭領こそが伝説の鉄砲使い 「雑賀孫一」 である。

 雑賀衆のまとめ役であり、リーダー格でもあり、各地の戦いで傭兵として活躍していた。
雑賀衆と友好的だった 本願寺 が 織田信長 と戦うようになると、鉄砲を使った
先進的な戦術で織田軍を撃破し、さらに各地の一向一揆も支援して、「本願寺 左右の将
と称えられる。
信長 の集中攻撃によって一度は敗退するが、その後も 織田軍 や、織田家に味方する
雑賀衆内部の勢力と戦い続け、織田の追っ手から逃げる本願寺の 法主・顕如 をかばい続けた。
信長の死後は 豊臣秀吉 の配下となり、雑賀衆を後にする。
 
 秀吉 が雑賀衆を攻めた際には降伏を勧める使者となり、両者の取次ぎ役を務めた。
その後、豊臣軍の 「鉄砲頭」 となり、朝鮮出兵では九州を守る。
「関ヶ原の戦い」 では 西軍・豊臣側 として、京都の戦いで 徳川家 の重臣 「鳥居 元忠」
を討ち取るが、西軍が敗戦したために領地を失い浪人となる。
しかし東北の大名 「伊達 政宗」 に取り立てられ、雑賀衆に伝わる 騎馬鉄砲術 を伝授、
騎馬鉄砲隊は 大阪・夏の陣 で大いに活躍した。



愛刀 “八丁念仏団子刺し”

斬った相手が念仏を唱えながら八丁(約872m)歩いていったところで、
体が真っ二つに割れたという。そこから「八丁念仏」とついた。

「団子刺し」は、確かに斬ったはずなのにおかしい、と孫市がおいかけていった際、
杖のように刀をついて歩いていくと石が団子のように串刺しに刺さっていたからだという。
備前行家の作といわれる。



家紋 “ヤタガラス(三つ足鳥)”

ヤタガラスは日本神話では天照大神から遣わされた神鳥、中国の逸話では
太陽の中にいるという三本足の赤色の烏のこと。


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