戦国武将の愛刀・家紋 > 前田慶次

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前田慶次

いくさ人にして風流人 「天下御免の傾奇者 前田慶次」

いくさ人にして風流人
「天下御免の傾奇者 前田慶次」



愛刀 “関ノ孫六 兼元”
    (せきのまごろく かねもと)


武具 “紫色威赤塗五枚胴具足”
    (むらさきいろおどし
        あかぬりごまいどうぐそく)


愛馬 “松風”(まつかぜ)

家紋 “梅鉢紋”(うめばちもん)



前田慶次

 本名 前田慶次郎利益(諸説あり)。
 彼は上杉家の直江兼続と親交があり、上杉家と伊達家との戦いに助っ人として
駆けつけたのだが、そのとき背にした旗に「大ふへん者」と大書した。これを見た
上杉家中の士が
大武辺者とは何事か、上杉家にも人はいる。助っ人のくせに上杉をなめるな」
と怒った。 これを聞いた彼は
「田舎者はこれだから困る。清濁を間違えてはいけない。私は遠くから駆けつけて
来ているので土地勘もないし仲間もいない。大いに不便をしている。どうして
大不便者』と読まずに『大武辺者』と読むのか」
 これはもう人を喰ったとしか言い様のない問答である。

                 ※大武辺者・・極めて武が優れた者


 友情に厚く、義理堅く、いたずら好き。そのくせいざという時には超人的に強い。
風流人で、自然を愛し、自由を愛し、教養もあり、武士ながら庶民との交流が大好き。
だから、まわりの人間に立場を超えて愛される。
世の悲哀をさんざん味わっているために、根本的に人に対して優しい。
別れには平気で涙を流してしまう。かと思えば、世を斜に構えて達観している様もある。

 たとえ天下人(秀吉)の前であれ、かぶき者としての意地を貫き通し、それこそ
命がけでかぶいてみせる。しまいには秀吉の方が感心してしまう。
そうかといって、礼儀作法を知らないはずもなく、相手が人間的な器を見せてくれば、
それにあわせて礼儀作法に乗っ取った立ち居振る舞いができる。
 めりはりが効いているのだ。



愛刀 “関ノ孫六 兼元”

  室町後期、美濃の刀工。初代兼元に次ぐ2代目で、孫六は俗称。関に住んだ
 3代目と混同され、江戸時代に関の孫六と称されるようになったといわれる。
 杉の木立が嵐に揺れる様を表現した乱れ三本杉の刃文が特色。古来より
 「関の孫六三本杉」として人口に膾炙(かいしゃ)されている特色の有る刃文である。


愛馬 “松風”

  前田利家を水風呂に騙して入浴させ、前田家を出奔した際に奪ったと言われている。
 別名谷風とも言われる。漫画、花の慶次では、上野国の厩橋城近くにいた事になっている。


家紋 “梅鉢紋”

  今は花といえば桜を思い浮かべる人が多いかもしれないが、古代の日本人に
 とって花といえば「梅」だった時期がある。
 古代日本人に愛された梅だが、最も梅を愛した日本人として有名なのが
 「菅原道真」公である。

  彼は藤原氏の陰謀によって晩年を太宰府で過ごさなければならなかった不遇の
 人で、そのことで多くの人の同情を集め、その後の天災を道真公のたたりと恐
 れ、天満宮に神として祭ったという逸話がある。

 学問の神としても有名な道真公を祭る「天満宮」の神紋はもちろん、「梅鉢紋」。

 一方の菅原道真公の子孫を称する前田家も使用している梅鉢紋は、花びらを丸
 にデフォルメしており、そうすると丸が5つになり、星紋と区別がつかなくな
 り、中央に鉢と呼ばれる太鼓の鉢のようなものを描いたと言われている。



前田慶次にまつわる言葉

「穀蔵院瓢戸斎」(こくぞういんひょっとさい)

前田家を出奔してから京都などで「穀蔵院瓢戸斎」と称し、文人と交流。
貴賎墨客と交わりを結び、諸大名の邸宅にも遊びに出入した。そこで文武の道に
己を凌ぐ人物として直江山城守兼続に接して交わりを深めたのである。
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