戦国武将の愛刀・家紋 > 長宗我部元親

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長宗我部元親

姫若子と呼ばれた四国の覇者 「土佐の出来人 長宗我部元親」

姫若子と呼ばれた四国の覇者
「土佐の出来人 長宗我部元親」


愛馬 “内記黒”(ないきぐろ)

家紋 “七つ酢漿草/七つ片喰”(ななつかたばみ)



長宗我部元親

幼少の頃は色白でおとなしく、軟弱な性格から「姫若子(ひめわかご)」と皮肉られていた。
1560年の長浜の戦いにて初陣。当時22歳という遅い初陣ながらも、
自ら槍を持って突撃するという勇猛さを見せたといわれる。同年父の急死により
家督を相続し第20代目の当主となる。その後、いくつもの戦を経て、土佐統一、
そして四国統一を為す。





愛馬 “内記黒”

豊臣秀吉から長宗我部元親が拝領した名馬。葦毛の馬である。戸次川の戦いにて
仙石秀久の無謀な策により嫡男である信親を討たれ、窮地に陥った元親を乗せて
命を救った。


家紋 “七つ酢漿草/七つ片喰”


酢漿草/片喰ともに「カタバミ」と読む。

酢漿草は、ハートの形をした葉で、踏まれても枯れない強い繁殖力が武士達に
好まれていたとか。
強い生命力、繁殖力から子孫繁栄の願いを込めて、また葉の形状の優雅さから
よく紋に用いられた。 長宗我部家においては、その祖、泰能俊が土佐に下向するときの
別れの盃に酢漿草の葉が七枚浮いていたことに由縁すると言われる。




長宗我部元親にまつわる言葉

「悪い時代に生まれきて、
      天下の主になり損じ候」



天正16年(1588年)北条を滅ぼし、ほぼ天下人となった豊臣秀吉が
聚楽第での宴会で元親に、
「四国の覇者を望んでいるのか?それとも天下に心を掛けているのか?」
と質問した。これに
「天下に心を掛け候」
と元親は答えた。

そこで秀吉は、元親に
「貴殿の器量では天下への望みはかなうまい」
と言う。元親は、この秀吉の返答に
「私は悪しき時代に生まれ来て、天下の主になり損じ候」
と返したという。

「秀吉と同じ時代に生まれては、私は(元親)天下をとる望みはない」と
言った意味と考えられている。



一領具足(いちりょうぐそく)

一領具足とは
  普段の日は農作業に励み、「いざ召集!!」という時に
 常備している鎧兜や武器などの一領(ひとそろえ)の具足(武具)を付けて
 馳せ参じるという、兵農分離前の武装農民や地侍を対象に編成、運用した
 半農半兵の兵士および組織の呼称である。

  農作業に出る時に具足と兵糧を槍に結び付けて立てて置いたのである。
 明治時代に北海道へ警備と開拓を兼ねて渡った「屯田兵(とんでんへい)」
 のようなものであろうか。

  この一領具足は戦の度に借り出される農民が多かったのだろう。彼らは
 正規の武士ではないが、その兵力と行動力は敵にとっては脅威であっただろう。


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